東京の下町、墨田区向島の魅力的な街を紹介しています。昔から徐々に変化していく中での知っていただきたい向島があります。

浅草「浅草寺」の発祥

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  • 隅田川の河口は今でこそ月島の先だが、昔は浅草あたりだった。
    約四百年前の永禄年間(一五五八―七◯年)に作られた東京の地図によると、湯島天神を中心にして南北にまっすぐ引いた線、高輪(当時は高縄)村、日比谷村、神田、三の輪(箕輪)村、石浜村は海岸で、浅草も、日本橋葭原(今の人形町あたり)も海中の孤島だった。
    浅草に当たる間越島はちょうど隅田川の下流宮戸川の落ち目だったから、ここで海苔が取れたり(現在広く知られている東京名物浅草のりの名称は、ここから出ている)、蛤がとれたりした。
    推古天皇の三十六年三月十八日(千三百六十余年前)の朝早く、土師臣中知(はじのおみなかとも)という野見宿祢
    の末孫に当たる男が、檜熊浜成、同武成という若者と三人で漁に出た。今の駒形橋付近の海岸で網を入れると、魚が取れずに一寸八分の金ムクの観音さまが網に入った。
    「チエッ、俺は魚を取りに来たんだ。こんなものいらないよ」中知は、観音さまをポンと海中におっぽり込んだ。だが、網を入れるとまた掛かってくる、また捨てるとまた掛かってくる。そればかりか、その日に限って魚が一匹も捕れないので、殺生をあきらめてとうとう観音さまを拾って帰ってきた。
    しかし、持って帰ったものの、泥まみれなので中知は洗うのも面倒なので檜熊の兄弟にそれをやった。兄弟も貰っても仕方がないので、道端の木の切り株の上に放ったらかしにしていると、子供が来て、アカザで屋根をふいてお堂を作って遊んだ。
    このアカザ堂が後の浅草寺の起こりだといわれている。
    現在の浅草寺本堂東側にある朱塗りの浅草神社は、中知、浜成、武成の三人をまつっている。それで三社さまという。この祭りが、「三社祭り」で、毎年五月十七、十八の両日(最近はそれに近い金―日曜日)行われる。祭り半纏にねじり鉢巻き、もろ肌ぬいだ若者たちがかつぐミコシが、百体あまり。二天門から邸内にくり込んでくるさまは、いかにも派手っ気な下町の祭りらしく美しく見事だ。