東京の下町、墨田区向島の魅力的な街を紹介しています。昔から徐々に変化していく中での知っていただきたい向島があります。

隅田川にまつわるカッパの逸話

  • HOME »
  • 隅田川にまつわるカッパの逸話


  

  • 隅田川は古くより詩歌にうたわれ、情趣豊かな川として多くの人々に親しまれてきた。
    しかし、いまでは大都会の巨大な「下水道」といった感じで心ある人を寂しがらせている。
    この隅田川も、江戸時代は今よりも川幅も広かったし、水もきれいで、春は桜、夏は夕涼みと、江戸っ子の格好のレクリエーションの場であった。
    合羽橋本通りにある曹洞宗曹源寺(台東区松が谷三丁目)には次のようなカッパの「縁起」が残されている。
    文化年間(一八◯四~一六年)のこと、この地に雨合羽聞の合羽川太郎という人が住んでいた。
    この人は働き者で間売もうまく、やがて巨万の富を蓄えた。
    この地は流れるどぶ川よりも低く、台風はもとより、少しの長雨でもすぐ水が山て、住民たちは大没難渋した。
    「ああ、お山はできょうも働きに行けねェ」水が山るたびに多くの人々は青くなった。それでなくてさえ貧しい人々が多いので、住民の暮らしは苦しくなるばかり・・・。
    「なんとも気の毒な人が多すぎる」川太郎は、ただ働け、働け――の”モウレツ人間”にありがちな冷たい心の持ち主でなく、仲々義侠心に市んだ男で、困る人々のために今まで蓄えた私財を投げ出して、吉原のオハグロどぶから出て、入谷田圃からこの地を通って隅田川に流れ込む、ウネウネとまがるとぶ川を整備して掘割りをつくった。
    このとき、「アッシらも、ぜひお手伝いしたい」と、一匹のカッパが大勢の子分を迎れてやってきた。このカッパは、先に隅田川の川端で捕えられ危なく殺されそうになったのを、川太郎に助けられたのでその思返しにやってきたのである。
    面白いことに、このカッパの姿を見た人たちは、その後フシギと商売が繁昌し、迎勢も上向いたと言われた。
    川太郎の墓は寺に現存し、カッパは「河童大明神」として杷られている。曹源寺はこれにちなんで、一名「かっぱ寺」とも呼ばれ、”合羽橋”通りの名祢も、この掘割りに住んでいたカッパがモ卜だとも言う。
    河童大明神を拝むときは御真言「オン。カッパ。ヤ。ソワカ」と、二十一ぺん唱えると御利益があるという。
    隅田川にカッパがいた。ご年配の方々の中には、祖父祖母などから伝え聞いたことがある方もいらっしゃるのではないだろうか。ノドカな時代の楽しい「お話」である。